「連休、どこに行こう?」と悩んでいる方、必見! 歴史を感じながら、日本庭園や庭に癒されるコースのご紹介です。その土地に受け継がれた景観で、時間を忘れてゆっくり過ごしましょう。季節によってイベントが開催されるスポットもあるので、事前に確認することをおすすめします。
八戸駅からスタート、東北新幹線で盛岡駅に向かい、盛岡駅で秋田新幹線へ乗り換えて秋田駅へ。新幹線で仙台駅経由、郡山駅に向かい、在来線に乗り換え会津若松駅へ、そして在来線と高速バスで保内駅へ向かうコースです。時間帯によっては新幹線、高速バスの乗り継ぎが変わるので、移動手段は時間帯に合わせて検索してみてください。
春と秋に無料で一般開放! 江戸時代末期に作られた南部信順の庭園・八戸市「八戸南部氏庭園」
江戸時代末期に鹿児島の島津家から第9代八戸藩主として信順(のぶゆき)公が迎えられたのを機に、1847(弘化4)年に造られた八戸南部氏庭園(写真)。30本余りの松をはじめ、ツツジやサツキ、樹齢数百年といわれるモミの木が植えられています。天気がよければ、遠く秀麗な八甲田の山並を眺めることができます。春(5月下旬頃の4日間)と秋(11月上旬頃の4日間)の年2回、無料で一般開放を行っています。
様々な種類がある日本庭園の様式のうち、八戸南部氏庭園は不老不死の仙人達が住む理想郷とされる伝説の山・蓬菜山に見立てた島が水の中に浮かぶ景色の「蓬菜山形式」、庭園の中心となる池などの周囲を回遊するかたちで鑑賞する形式の「回遊式」で、水を一切使わずに海や川などを表現する「枯山水」(写真)を見ることができます。築山(つきやま)、石灯籠(いしどうろう)、橋などが巧みに配置されているのも特徴です。
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「東北では無二の名園」とも評された、秋田市「国指定名勝 旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園」
国指定名勝 旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園(写真)は、江戸時代の元禄年間に秋田藩3代藩主佐竹義処が家臣の大嶋家に土地を与え整備された別荘をはじまりとします。その後藩主の御休所となり、9代藩主佐竹義和が孔子の『論語』の一節「逝者如斯夫、不舎昼夜」から「如斯亭」と名付け、賓客をもてなす場や藩内外の文人墨客の交流の場として利用されました。2017(平成29)年の開園後は生け花の見学体験、雛人形の展示などの公開をしています。入園料は一般210円、団体160円(20名以上)、高校生以下は無料です。
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名だたる名将たちが治めた会津藩のシンボル! 天守閣もリニューアル・会津若松市「鶴ヶ城 (会津若松城)」
1384(至徳元)年に葦名直盛(あしななおもり)が築いた東黒川館を起源とし、1593(文禄2)年に蒲生氏郷(がもううじさと)が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」(写真)と命名。1868(慶応4)年の戊辰戦争では新政府軍の1か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。1874(明治7)年までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、1965(昭和40)年に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。2011(平成23)年には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられ、ことしの4月に天守閣がリニューアルします。
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植木・園芸・造園の街が誇る、「見て」「触れて」「楽しめる」道の駅・三条市「道の駅 庭園の郷 保内」
保内の植木の始まりは、18世紀初頭に代官が徳川家の居城のあった江戸へ赴く際に村人がこれに随行すると、江戸で庭木の手入れや接ぎ木の方法を覚え、村に帰ってこれを広めたのがきっかけといわれています。三条の金物産業が水害による被害を補うために発展したように、保内の植木も村の暮らしを助ける産業として18世紀後半には既に近隣に知られるようになりました。「道の駅 庭園の郷 保内」(写真)は、造園や園芸を楽しむ道の駅です。
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受け継がれる日本美、四季の景色を堪能する城と庭園を巡る東日本の旅
城の散策や日本庭園でのんびり過ごすコースです。八戸南部氏庭園は年に2回の一般公開なので、公開時期は事前に確認するようにしましょう。
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