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国宝の土偶や越後のミケランジェロの彫刻を観る! 町並と街道を訪れる! 一度は見たいお宝スポットを巡る旅
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文●栗山春香 マップ●小林美和子
食欲の秋、芸術の秋、旅にもぴったりの秋到来です。歴史を感じる土偶や彫刻、そして遺跡から見る町並や樹齢が古い紅葉のトンネルなど、見たり訪れることで歴史のロマンに浸る旅もいいですね。それぞれ時代が違うものではありますが、保存状態がいいものばかりなので、後世に受け継がれたそれぞれの歴史を体感しましょう!
八戸駅からスタート。東北新幹線を南下し仙台駅乗り換え、那須塩原駅に向かい在来線で西那須野駅へ向かいます。そして那須塩原駅から新幹線で大宮駅に、そこから上越新幹線で長岡駅に向かい、在来線で三条駅に。福井駅へは新幹線で金沢駅に向かい、特急を使うコースです。西那須野から三条、福井への移動は車移動の方が早いので、交通情報を見ながら移動手段を変えることをおすすめします。
国宝「合掌土偶」や縄文時代の工芸技術の高さを物語る出土品多数! 「八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館」
八戸市には、鮮やかな漆器や精巧な土偶が出土した世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つである史跡是川(これかわ)石器時代遺跡や、国宝「合掌土偶」が出土したことで知られる風張(かざはり)1遺跡などがあります。八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館(写真)に展示され、工芸性の高い漆器や土偶の数々は、狩猟・採集・漁労のくらしをしながら豊かな文化がはぐくまれていたことを今に伝えています。ほかにも1334(建武元)年に築城された「根城」は、本丸など8つの区画からなる平城で、1627(寛永4)年に遠野に移封されるまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。現在は、安土桃山時代の建物が復原され、日本100名城にも選ばれています。
八戸市で一度は見たいお宝はコレ!
八戸市埋蔵文化財センター 是川(これかわ)縄文館の「合掌土偶」
是川縄文館は史跡是川石器時代遺跡に隣接し、市内の発掘調査を行うほか出土品を展示し、東北地方の優れた縄文文化を発信しています。展示の目玉は、1989(平成元)年7月に風張1遺跡から出土し、2009(平成21)年7月に国宝に指定された「合掌土偶」(写真)。また、是川石器時代遺跡から出土した縄文時代の漆器や木製品など、当時の工芸技術の高さを物語る出土品が多数見られます。毎週日曜日には、火起こしや勾玉づくりなどさまざまな縄文体験ができるコーナー(勾玉づくりは300円~、予約不要。団体利用不可)も開催されています。八戸駅から南部バスで「是川縄文館」下車すぐです(八戸駅からの直通バスは土日祝のみ)。
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紅葉シーズンは混雑必至! 大山元帥墓所の参道に植えられた樹齢約100年のモミジ並木道・那須塩原市「大山参道」
那須塩原は開湯から1200年以上で多くの源泉を抱える「塩原温泉」、古くから那須七湯の1つとして数えられてきた湯治場「板室温泉」を有し、明治期に那須疏水が整備されたのちは貴族・華族がいっせいに開拓を推し進めたことから、急速に発展を遂げた場所です。「源三窟」は栃木県北部の山間地にある塩原温泉郷に位置しており、火山活動で出来た洞窟内には滝水が流れ、頼朝に追われた源氏の落人が、隠れ住んでいた「源氏の隠れ岩屋 史跡鍾乳洞」は人気のスポットの一つです。また、明治陸軍創設者の一人、陸軍元帥で参謀総長の大山元帥(おおやまげんすい)が愛した場所でもあり、墓所があります。この参道「大山参道」(写真)は、特に紅葉時期(11月中旬~下旬)には多くの人が訪れる観光地となっています。
那須塩原市で一度は見たいお宝はコレ!
大山参道の「モミジ並木」
明治時代の元勲(げんくん)大山巌(旧薩摩藩士・公爵)は、西那須野地区に273町歩(ちょうぶ・約271ヘクタール)の農場を持ち、その一角に別荘も建てました。大山が世を去ったのは1916(大正5)年で、遺言により生前こよなく愛したこの地に葬られ、墓所は大山が開いた農場の一角につくられました。その後参道が整備され、参道の両脇にはさまざまな木が植えられ、大田原街道以北(約100メートル)にはヒノキが、そして以南(幅18メートル、長さ約200メートル)にはモミジとサクラ・ツツジなどが植えられました、モミジとサクラは一本おきに植えられていましたが、サクラは枯れたため伐採。大田原街道以南部分にあたるこの参道は、1955(昭和30)年に大山家より旧西那須野町に寄贈され、それ以降大山公園として親しまれています。公園内、東西にのびる参道は紅葉シーズンにはきれいなモミジが見られます(写真)。最寄りの西那須野駅から観光自転車をレンタル(無料)できます。
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越後のミケランジェロ・石川雲蝶ゆかりの寺院! 作品と墓が残される三条市「法華宗総本山 本成寺」
三条市は、1625(寛永2)年から3年間を代官所奉行として三条に在城した大谷清兵衛が河川の氾濫に苦しむ農民を救済するため、江戸から釘鍛冶職人を招き、農家の副業として和釘の製造法を指導・奨励した「三条鍛冶」が有名です。現在でも鍛冶体験ができる施設などもあり、「ものづくり」の伝統が受け継がれている街ですが、「越後のミケランジェロ」と呼ばれた石川雲蝶(いしかわうんちょう)が愛した街としても知られています。中でも自身の墓がある「法華宗総本山 本成寺(ほんじょうじ)」(写真)には、作品も残っているので多くのファンが集まるスポットとなっています。
三条市で一度は見たいお宝はコレ!
法華宗総本山 本成寺の「石川雲蝶の作品」
石川雲蝶(本名:石川安兵衛)は1814(文化11)年に、現在の東京の雑司が谷に誕生。弱冠20歳前後で江戸彫石川流の奥義を窮め、苗字帯刀を許されたといわれています。30歳ごろ、三条の金物商・内山又蔵に勧められたことで越後への移住を決意したと伝えられています。その後、三条を拠点に近隣で制作活動をしているうち、内山氏の世話で三条の酒井家の婿となり、越後人となりました。石川雲蝶は本成寺の本堂の欄間や納骨堂に腕をふるい、塔頭(たっちゅう)寺院に数々の作品を残しましたが、度重なる火災でそのほとんどが焼失し、彼の面影や記録なども失われました。ですが「法華宗総本山 本成寺」には、赤牛(写真)や塔頭に猿などの置物(置物は非公開のものもあります)、門や向拝に貴重な作品が残されています。また、本成寺には雲蝶の菩提寺でがあり、本堂の裏には雲蝶の墓もあります。江戸の豊かな教養と創造性に富む雲蝶の作品を間近に楽しめるスポットです。本成寺ヘのアクセスは、JR信越線三条駅から徒歩15分。
三条雲蝶会による
見学ガイドもあります。
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武家屋敷・寺院などの町並みがほぼ完全な状態で発掘! 特別名勝&三重指定を受けている遺跡、福井市「一乗谷朝倉氏遺跡」
戦国時代の武将柴田勝家の北ノ庄城時代から城下町として都市形成しはじめ、江戸時代には石高68万石を数える大城下町となった現在の福井市。福居、福井と地名を変えた親藩統治を経て、現在もなお県政の中心として福井城本丸跡に福井県庁があります。江戸時代の福井は日本屈指の大都市で、朝倉氏滅亡後に一乗谷から移転した文化人の影響もあり華やかな文化や行事が行われていたとされています。そんな文化が今でも見られるのが「一乗谷朝倉氏遺跡」(写真)です。
福井市で一度は見たいお宝はコレ!
一乗谷朝倉氏遺跡の「復原町並」
朝倉氏は現在の兵庫県養父(やぶ)市出身の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代、応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し、斯波(しば)氏、甲斐(かい)氏を追放して越前国(えちぜんのくに)を平定。以後孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)と5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、「北の京」とも呼ばれました。しかし天下統一の戦いの中で1573(天正元)年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。遺跡の発掘調査は、1967(昭和42)年から進められ、1971(昭和46)年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定。また、1991(平成3)年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園(ゆどのあとていえん)、館跡庭園(やかたあとていえん)、南陽寺跡庭園(なんようじあとていえん)の四庭園が特別名勝に指定されました。さらに、2007(平成19)年には遺跡出土品のうち、2,343点が重要文化財に指定されています。一乗谷駅から徒歩約30分、福井市中心部からバスで約30分のところに位置します。
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当時から現代まで大切に保存された、歴史を体感できるスポット4選
教科書やパンフレットで見る美術品もいいですが、実際に自分の目で見て体感できる「歴史」もおすすめです。当時の技術の高さや、文化の豊かさを実感してみてください。
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