前編では、盆栽の価値の違いについてや、その見方について学んだが、まだまだ私の疑問が尽きることはない。続いては、部屋飾りとしての盆栽について聞いていこう。
庭にある盆栽と部屋に飾ってある盆栽は何が違うのか?
ギャラリーの最後には、座敷飾りのコーナーが用意されている。こちらは、実際の和室での盆栽飾りの様子を模して見せてくれる展示コーナーだ。「真」「行」「草」と3つの格式に分かれ、最も格式の高い座敷を真の間、厳格な体裁をくずし茶室など限られた空間にしつらえる草の間、その中間となる行の間に分かれている。
──お部屋の格式によって、飾る盆栽も変わってくるという感じなんですか?
田口「そうですね。やはり大振りな格調高い盆栽は真の間、模様木や花もの盆栽などは行の間、草の間は文人木や比較的小ぶりな盆栽を飾るのに適しています」
──ところで、盆栽ってなんでこうして部屋の中の床の間に飾るものと、外に置いてあるものがあるんですか? 何が違うんでしょう?
田口「盆栽は生きている樹ですので、基本的には外で日の光を浴びて育てるものなんです。こうして床の間飾りなどにするのは、お正月などの特別な日や客人をもてなすために、外から持ち込んでお部屋を装飾しているんですよ」
──そうなんですか! 床の間の盆栽って、常に床の間に飾っているものなのかと思ってました。
田口「ずっと日の当たらない家の中に置いたのでは盆栽も弱ってしまいますから。当館の室内ギャラリーも、常に同じ盆栽ではなく、見頃の季節にだけ、来場された方に見ていただけるように入れ替えて展示されているんです。それと、こちらの最も格式の高い真の間に置かれた盆栽を見てください。こちら、とても風情があって、立派に見えるでしょう? でも、この盆栽は外に置くと、そのほかの盆栽や外の景色に埋没してしまうんです。この盆栽の真の良さが引き出せているのは、この床の間のように、周囲に余白があるからなんです」
──言われてみると確かにそうですね。ここにあるからこそ、映えていると言えるかも。本当に奥が深いですねぇ。
それと、もうひとつ気になっていたのですけど、ギャラリーの展示には盆栽の横に小さな鉢が置かれていたんですが、こちらにはないですよね? あれってなんなんですか?
田口「これは”添えの盆栽”と言います。盆栽の飾りつけは座敷飾りを元にしているので、畳1枚分ほどの中に置くんですけど、小さな盆栽だと真ん中に置いちゃうと間が持たない、空間に負けてしまうと。ですので、あえて横にずらして置いて、その空いた空間を締めるために小さな飾りとして添えられるものなんです。これは小さい盆栽でなくてもよくて、たとえば水石であったり、掛け軸であってもいい。その空間で何を演出したいか、何を見せたいのかを考えて置くものを変えるんです」
──盆栽そのものではなくて、飾るときのお作法というか工夫のようなものなんですね。
田口「そうなんです。部屋飾りとして考えた場合、部屋全体の調和を考えた配置をしなければならないのでちょっと難しいんですけど、たとえばこちらの行の間の添え飾りは、右手に伸びる幹の流れを受けるように掛け軸があり、こちらの左手に下がっていく幹の指す先の縁台に、季節感を出すための銅製のキリギリスの飾りものが置かれています。明治時代以降にあった”自在”という脚や触覚が動く置物なんですが、これも適当にここに置いたわけではなくて、床の間に置くと要素が多くなり過ぎるため、あえて、この位置に置かれているんです」
──盆栽を中心に和室のインテリアを考えるみたいなことなんですね。深すぎますね。面白いです。
磯野波平の趣味はなぜ盆栽なのか
こうして会話を逐一再現していると、いつまで経ってもこの記事が終わらないので、ここからはちょっと駆け足で紹介していこう。お次は企画展示室にて、歴史のお勉強だ。この展示室の半分は常設展示のパネルで、盆栽の歴史を学ぶことができる。
歴史と聞いて、興味が削がれた方もいるかもしれないが、実はこの盆栽の歴史にこそ、磯野波平さんがなぜ盆栽を趣味としているのかという謎の答えが隠されている。
そもそも盆栽のはじまりは、1300年ほど前の中国にまで遡る。その後、宋の時代には”盆山”、やがて明の時代には”盆景”という盆栽のルーツとなるものが中国で親しまれるようになり、盆景は中国で現代まで継承されている。この中国で生まれた文化の内、盆山が日本に渡来したのが、おそらく平安時代から鎌倉時代にかけて。おそらく、というのは、書物でなく、鎌倉時代の絵巻物に描かれているという資料しか残されていないからだ。
室町時代に入ると、文献資料にも登場するようになり、盆の上に山を表現するもの、より風景に近いものの表現法として知られていく。鎌倉・室町時代には山水画が流行するのだが、それを3D化したものが盆山、さらにそれを大きくしたものは”山水”と呼ばれる庭園になり、そこから草木のような生きているものを抜き取ったのが”枯山水”の庭園になる。
江戸時代に入ると、将軍家で行われていた薬草研究のための”鉢植え”と、盆山を愛でる文化が融合し、将軍家の庭園でも、ただ愛でるだけのための鉢植えの樹が育てられるようになっていく。こうして育てられた盆栽は、殿様から家臣への報賞として贈られることもあり、ギフトとしての役割も持っていた。
田口「当時の家臣は嫌だったと思いますよ。土地でも金銀でもなく、希少な宝物といったものでもない。その上、きちんと手入れをして育てなきゃならないし、ましてや枯らしてしまったら一大事ですからね」
確かにそうだ(笑)。こうして江戸時代も後期に差し掛かると、ようやく文献にも”盆栽”という言葉が出てくるのだが、話し言葉としてはまだ”はちうえ”と呼ばれていた。江戸時代の中期以降には、戦もなく庶民の暮らしも安定してきて、衣食住足りれば趣味に走るという者も現れはじめ、田舎と違って緑の少ない江戸の生活の中で、小さな器の中で植物を育てる鉢植え文化が、庶民の間にも取り入れられるようになっていく。
庶民と執権者の双方で盆栽文化が取り入れられ始めるが、庶民の間で好まれたのが主に梅などの花ものや草のものなど小さな鉢植えで、一方の上位の階級の間で好まれたのが松などの大ぶりな樹の盆栽だった。この頃からすでに盆栽には高価なものと庶民的なものの二通りが存在していたのだ。
江戸の末期から明治にかけては、煎茶の文化が中国から伝来し、それまでの様式的な茶文化である抹茶文化に替わり、自由で堅苦しくない煎茶文化は文人達に大いに好まれた。その文人たちが茶室で好んで飾った盆栽の樹形が文人木であり、それまで外に置かれていた盆栽を床の間飾りに用いるようになったのもこの頃。
また、それまでの染め付けの華やかな盆器に代わって、茶色の渋い盆器が用いられるようになったのもこの頃で、現代の日本に伝わる盆栽の様式が固まってきたのはこの江戸後期から明治にかけてのことだ。
中国からの煎茶の到来前、抹茶の世界であれば、床の間に飾られるのは生花であったのだが、煎茶文化では盆栽が飾られる。つまり、生花と盆栽とは、お茶文化の違いでもある。
抹茶や生花には茶道や華道といった伝承の道が用意され、また流派があって、その手前がマニュアル化されハウツーとして伝えられていったのに対し、煎茶、盆栽は自由闊達を旨として、盆栽には型はあれど流派などは存在しない。そのため、生花や抹茶文化は今でも習い事として触れる機会があるが、煎茶は現代でも誰でも気軽に飲めるお茶としてあり、盆栽もまた、誰に師事する必要もなく、誰でも自由に楽しめる趣味的な位置づけのものとしてある。このためか、盆栽には大家と呼ばれる人物はいても、その名が一般的に広く知られるようにはなっていない。名が挙がるのは大抵の場合、他に名声を持ちながら、盆栽を趣味として嗜む人物ばかりなのだ。
そして明治期になって、世の中に起こったもう一つの変化によって、盆栽文化はさらに花開いていく。それがジャーナリズムの発達で、徳川家の統治していた時代には庶民には伺い知ることのできなかった政財界人など上流階級の人々の暮らしぶりが、明治維新を経て、生活面などに至るまで新聞などを通じて報じられるようになった。
この国を引っ張っている人たちが盆栽を趣味にしていることが知れ渡ると、それをステータスとして真似ようと多くの人が盆栽を趣味とするようなブームが起こる。こうして、明治に生まれた男たちは、いつかは盆栽を趣味にしようとがんばって働き、大正、昭和の時代に揃って似た趣味を持つお父さんに育っていく。それがすなわち、日本の代表的お父さん像・磯野波平さんの姿なのだ。
この記事には書ききれなかったこと
企画展示室を出ると、最後は約60の鉢が展示された盆栽庭園の見学コースだ。床の間飾りやギャラリー展示と違い、360度どの方向からも気になった盆栽を眺められるのが特長。また、しゃがみこんで下から仰ぎ見てもあまり恥ずかしくない(笑)。
取材に訪れたこの日は、快晴とまではいかないが、薄く雲のかかった過ごしやすい日和で、常緑樹の緑とこれから紅葉を迎えんとする色味の付いた葉とが入り混じった庭園は、ふらふらと散策して歩くにはおあつらえ向きの場所だった。この美しい庭園を巡りながらも、田口さんから様々なお話を聞かせていただいた。
盆栽村の成り立ちから戦火での荒廃、GHQにも芸術品として認められていたという話、そのGHQが本国での広告塔になり盆栽文化のエバンジェリストになっていったこと、中国の盆景との違い、大阪万博での盆栽展の盛り上がり、海外のBONSAI文化の現状、盆栽自体の国際間での往来が難しく海外作品の展示会などが開催できないという話、実のなる盆栽の見方や剪定の仕方、盆栽美術館所蔵の盆栽の総額の価値、それをどうやって集めたのか、などなどなど。
聞けば聞くほど盆栽は奥が深い。奥深く、そして面白い。正直なところ、私はまだ盆栽の本当の楽しさには気づけていないのかもしれない。ただ、この大宮盆栽美術館巡りが最高に楽しかったのは間違いない。
来館前に抱えていた疑問にはすべて答えていただいた。それでもまだ知りたいと思う。もっと聞きたいと思う。この年齢になってさえ、新しく知識を得ることに喜べる自分であるのが嬉しい。そんなことを思わせてくれる1日だった。
今回の原稿は長くなってしまったが、これでもだいぶ濃縮して書いたので、盆栽の魅力が少しは伝わったのではないかと思いたいが、いかがだっただろうか。
この記事だけでは、まだその疑問の答えを見つけられなかったという方は、ぜひご自身でこの素敵な場所を訪れて、自分の言葉で聞いてみて欲しい。きっと、その答えはここにあるから。
さいたま市大宮盆栽美術館
埼玉県さいたま市北区土呂町2-24-3
開館時間:
(3月~10月)午前9時~午後4時30分 ※入館は午後4時まで
(11月~2月)午前9時~午後4時 ※入館は午後3時30分まで
休館日:木曜日(祝日の場合は開館)、年末年始、臨時休館日あり
観覧料:
一般 310円(200円)
高大生・65歳以上 150円(100円)/ 小中学生 100円(50円)
※障害者手帳をお持ちの方と、付き添いの方1名は半額
※( )内は20名以上の団体料金
年間パスポート:
一般 1,040円/高大生・65歳以上 520円/小中学生 310円